モスラ2

石垣島は映画の舞台にもなっています。
代表的なものが、『モスラ2 海底の大決戦』です。

この映画は1997年12月13日に公開されました。平成モスラシリーズの第2弾です。東宝映画による製作、配給も東宝です。

上映時間は100分で、三好邦夫監督により特技監督として川北紘一が関わりました。出演は、小林恵、山口紗弥加、羽野晶紀、満島ひかり、島田正直、大竹雅樹、奥野敦士、おかやまはじめ、紺野美沙子、細川ふみえ、佐藤正宏、野波麻帆などです。

どんなストーリーかというと、ある日「沖縄の海に奇怪な生物が現れた」ということで話が始まります。

それは、オニヒトデを想像されるような生物でした。毒液で漁師を負傷させ、あっというまに日本全域に広がったのです。この生物の発生ダガーラという怪獣の復活の前兆でした。

ダガーラというのは、伝説のニライカナイの古代文明が環境汚染を解決するために、生体浄化システムとして生み出したものです。しかし暴走し、結果的にニライカナイを滅亡へといたらせる一因となったのです。

そしてエリアス姉妹が地球の危機を察知して向かった先が石垣島でした。

彼女たちが向かった石垣島では、ニライカナイから来た小生物ゴーゴが出没していました。本土からは、そのゴーゴの尾の装飾リングから宝がある事を悟った密猟者が来ていました。
ゴーゴを保護した地元の少女たちもいました。

石垣島に向かったエリアス姉妹は地元の少女たちと組み、一方、姉妹と対立する黒い妖精ベルベラと密猟者が組んでそれぞれ海へ出たのです。

サンゴ礁

石垣島は特にサンゴ礁で有名です。白保サンゴ礁などです。

しかし、サンゴ礁というのは、いったいどのようなものなのでしょうか?知っているようで知らない・・・そんな人が多いのではないでしょうか?

サンゴ礁は、「造礁サンゴ」の群落によって作られ、熱帯の外洋に面した海岸によく発達する地形のひとつです。

造礁サンゴの繁殖には、高温の海水が適しています。25〜30℃ほどの高水温です。塩分濃度も高いほうが適しており3〜4%ほどといわれます。

一方、水深は浅くきれいな海がよく、深くても水深30mほどが良いといわれています。

サンゴ礁付近の砂浜をみると、どことなく白っぽく感じられます。これは波浪で折れたり、動物に齧られたりした、サンゴの残骸が砂に混じっているためです。

サンゴ時代の残骸以外にも、海岸には貝類やウニ、有孔虫の死殻などが堆積します。サンゴ礁の砂浜には、生物起源のものが砂に多く含まれているのです。

そのため、多くが石灰質です。「ビーチロック」という言葉をご存知でしょうか?これは、サンゴやその他の生物の石灰分が堆積し、その一部分が溶けたうえで、さらに再び固まったもので、砂の細かな粒を含んだまま、硬い岩石のようになったものです。

サンゴ礁というのは、このように生物が長い時間をかけて自然の営みのなかで生まれたものなのです。

そうして、石灰岩の広い岩盤となったのがサンゴ礁で、これは地形を変えてしまうほどのものとなるのです。

石垣島では、グラスボートなどですばらしいサンゴ礁を楽しむことができます。

観光スポット

石垣島を訪れたなら是非、観てほしい観光スポットをあげてみましょう。

位置などをしっかり確認し、その魅力をじっくりと堪能してください。島の魅力は海ばかりではありません。

さまざまな背景を知ったうえで島の生活を垣間見てみると、よりいっそう感動が深まることでしょう。

石垣島の名所、旧跡、観光スポットは?

まずは、「具志堅用高記念館」を訪れてはどうでしょう?

さらに「石垣島天文台」も人気です。

また、「川平湾」は欠かすことはできない景勝地です。
この湾は、「川平湾及び於茂登岳」として国の名勝に指定されているのです。「於茂登岳」も同様です。

この山は信仰の山としても知られています。ちょっぴり神妙な気持ちで山を望んでみるのもいいかもしれませんね。

また、「野底マーペー」「白保サンゴ礁」「平久保崎」もいいでしょう。

石垣島のサンゴ礁は日本でも屈指のすばらしさです。

ダイビングはちょっと・・・という人も観光用のグラスボートで是非、その美しさ鮮やかさを堪能してください。

また、「宮良殿内」で、しっとりと庭を楽しむのも一考です。ここは、建物は国の重要文化財に、庭園は国の名勝に指定されています。

また、歴史に関心のある方は「唐人墓」を訪れてください。その他、「石垣市立八重山博物館」や「オヤケアカハチの碑」も、きっと良い勉強になりますよ。

また「フルスト原遺跡」も歴史好きの関心をくすぐります。ここは、国の史跡に指定されています。オヤケアカハチの居城跡といわれるところです。

同様に「先島諸島火番盛」すなわち「平久保遠見台」「川平火番盛」も国の史跡に指定されています。

戦争マラリア

沖縄県の八重山諸島では、古くからマラリアが発生する地が幾つかありました。

戦争マラリアというのは、第二次世界大戦時に沖縄に強制疎開させられた一般住民がマラリアに罹患したことを言います。

このために多数が死亡したのです。石垣島同様、八重山諸島にある波照間島では、集団罹患が発生したことが知られています。

波照間島は沖縄県の八重山諸島にあり、日本最南端の有人島です。位置としては、北緯24度2分25秒、東経123度47分16秒です。面積は12.7km2、標高は59.5mで、人口は600人弱という本当に小さな島です。

沖縄の八重山諸島では、古くからマラリアの発生する地域がいくつか知られていました。

歴史的にも琉球王国時代から、これらの地域に強制移住が行われるたびに全員が亡くなってしまう、ということが繰り返されてきました。

特にそれで有名だったのが石垣島の北側、裏石垣と西表島です。ただし現在ではマラリアは一掃されています。

それでも第二次世界大戦時には、まだまだ発生する地域が多くあり被害も防げなかったのでしょう。

第二次世界大戦時には、沖縄本島周辺で激しい戦闘が行われました。八重山諸島では上陸作戦は行われませんでしたが、空襲や艦砲射撃による攻撃は避けられませんでした。

そのため、一部の地域で住民の疎開が行われました。そのとき疎開が行われたのがマラリアの発生する地域だったのです。

そのため多くの人がマラリアに罹患しました。多くの死者も出すことになってしまったのです。

西表石垣国立公園

西表石垣国立公園は沖縄県の西表島と石垣島、および周辺の島々や海域にまたがる国立公園です。

もともとは「西表国立公園」という名称でした。しかし2007年8月1日には、ここに石垣島の一部が編入されることになりました。

その後「西表石垣国立公園」と呼ばれるようになったのです。こうして拡張されたことから、面積は陸域が20,569ha、海域が約46,600haとなりました。

このうち海中公園地区は約1,100haを占めています。海中公園の面積だけを考えると、国内では最大規模のものです。

西表石垣国立公園は、西表島、石垣島の両島をはじめ、石垣島と西表島との間にあるさんご礁の海域も含まれます。

これは「石西礁湖」と呼ばれます。その海域に点在する隆起サンゴ礁の島々、黒島、竹富島、小浜島、新城島、西表島南西方の仲の神島なども含まれます。

石垣島は世界的にも貴重な環境が広がっています。ラムサール条約に登録された湿地である「名蔵アンパル」や吹通川のマングローブ林、於茂登岳のヤエヤマヤシやカンヒザクラの自生地などがそうです。

これらの地域では、希少価値のある植物相をみることができます。また、周辺海域には大規模なアオサンゴの群落が広がっています。

これらの白保海域をはじめとするサンゴ礁の海域は海中公園地区に指定されています。具体的には、平久保、米原、川平石崎、白保の4地区です。

貴重な環境資源をこれからも守っていくためにますます具体的で、積極的な対策が求められています。ダイビングなど楽しい思い出を提供してくれる石垣島の環境をいつまでも守っていきたいものです。

名蔵アンパル

宮良河は石垣島で唯一の大きな河と言えます。宮良河の河口域にはマングローブの林が広がっています。

これは国内最大の面積をもつとも言われています。西部の名蔵アンパルはラムサール条約に基づき、貴重な湿地として認められ、保護すべき湿地に登録されました。2005年のことです。

ラムサール条約というのは1971年に制定された国際条約です。1975年に発効された湿原の保存に関する条約です。その目的は、水鳥にとって貴重な生息地である湿地の生態系を守ることです。

日本語では「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」というのが、その正式な名称です。

「ラムサール条約」という通称はイランの都市ラムサールから取られました。この国際会議が最初に行われた場所です。

まず、締約国が水鳥の生息にとって重要な湿地を指定します。その後、指定された湿地が事務局の登録簿に登録されるのです。

締約国がすべきことは、指定された湿地を適正に利用し保全していくために計画をまとめます。そして実施するのです。

日本ではどのような取り組みがなされているのでしょうか?

石垣島の名蔵アンパルもそうでしたが、まず、該当すると思われる湿地などを鳥獣保護区特別保護地区に指定します。

そして鳥獣の捕獲はもちろんのこと、植物の採取や埋め立てなどの人為的な開発からも保護するためのさまざまな対応策をとっていきます。

1980年以降、締結国は定期的に会議を開いています。そして2005年現在147国が、締結しています。登録された湿地は1,524に上ります。

さらに2005年11月8日におこなわれた第9回締約国会議では、追加登録が発表されました。それにより、日本では登録地が一挙に増えたのです。

増えたのは20か所です。そして合計33か所となりました。日本が加入したのは1980年です。この時点で候補にあげたのは釧路湿原でした。

野底マーペー

石垣島の観光スポットや名所・旧跡として挙げられている数々のリストを見ると、その中に「野底マーペー」というちょっぴりユニークな名称が見つかります。

はたしてこの「野底マーペー」とはいったいなんなのでしょうか?

読み方は「のそこマーペー」です。実はこの野底マーペーとは、山の名前なのです。

北緯24度29分5秒、東経124度15分2秒に位置します。於茂登岳山系に属します。

野底マーペーは、沖縄県石垣市にある山で、「野底岳」・・・読み方は「のそこだけ、」または「ぬすくだぎ」・・・と、呼ばれることもあります。

明治時代の記録をみると、「ヌスクマヤーヒイ山」と、記されていることがわかります。

石垣島は、北部が山がちで、南側に向かうにつれ海へ向かって平地へとなります。この野底マーペーも、石垣島の北部に位置します。西浜川の源流にあたります。

山頂付近には崖があります。円柱状の垂直をしています。西方から見ると、まるで人の顔をしているようにも見えます。

山は緑色火山岩や溶岩などから成っています。古第三紀始新世の野底層からなっているといいます。山全体が、スダジイという、植物の群落に覆われています。

スダジイというのはブナ科のシイ属の植物です。別名、イタジイまたはナガジイといいます。

では、この「マーペー」という名前はどこから来たのでしょうか?

山の西の麓に、野底村という村があります。雍正10年、つまり1732年に黒島と新城島からの寄百姓が新しく作った村です。

村が新設された際に、黒島では道で島を二つに分割しました。そしてこの一方が強制的に野底に移住させられたといわれています。

マーペーという名前は、このときの移住者の一人であるマーペーという娘の名前から来ているといわれます。

彼女は、黒島に残された恋人を忘れることができず、野底岳に登ったのです。しかし於茂登岳にさえぎられて島さえも見えませんでした。
そのため絶望して山頂で石となってしまった、という伝説があるのです。

竹富島

日本中のダイバーたちの心をひきつける石垣島ですが、石垣島の地元の人たちも含め具体的には近隣の島々、たとえば竹富島を含めて、ダイビングを楽しむ人が多いようです。

石垣島を訪れたのなら、竹富島周辺も含めた観光を考えてみるといいかもしれません。それぞれのエリアでまた違った南国の島の魅力を楽しめるでしょう。

竹富島は石垣島同様、沖縄県の八重山諸島に位置します。

正確には沖縄県八重山郡竹富町となります。八重山諸島の中心地は石垣島です。その石垣島から竹富島までは高速船で約10分程です。約6kmの距離です。

竹富島は中央部に集落が広がっています。そしてその集落全体が実に魅力的な概観を保っているのです。木造赤瓦の民家と白砂を敷詰めた道です。これは沖縄古来の姿といわれます。

現在でも地元の方々は、竹富島を「テードゥン」と呼ぶことがあります。現在「竹富」という字を用いていますが、これは近代になってからの当て字です。

明治の中頃まで「武富」と表記されることが多かったのです。そして「タキドゥン」と呼ばれていました。

竹富島は映画の撮影場所としても使用されました。

竹富島は北緯24度15分、東経124度30分に位置し、2005年6月現在の人口は約342人です。戸数は約172戸です。周囲は9.12km、面積は5.42平方キロメートルです。

島へのアクセスは八重山観光フェリーを利用すると良いでしょう。

石垣港の離島ターミナルから船が出ています。所要時間は10分ほどで、朝から夕方まで30分おきに就航しています。そのほかにも、貨客船つまりカーフェリーが週2便就航しています。

於茂登岳

沖縄県の名勝として指定されているなかに、於茂登岳があります。石垣島に位置します。

沖縄県石垣市にあり、石垣島の北西部にあたります。
「川平湾及び於茂登岳」として、1997年の9月に国の名勝に指定されました。

於茂登岳は「おもとだけ」と読みます。こちらは、沖縄県石垣市にある山です。地元では「ウムトゥダギ」と呼ぶこともあります。

於茂登岳は、古くから霊山とされてきました。地元の信仰の中心的存在だったのです。

山名の「ウムトゥ」の意味は「島の大本」ということだといわれています。於茂登の神は「ウムトゥテラシィ」で、この神への通し願いが島内の多くの御嶽で行われます。

石垣島のマングローブの林でも有名な名蔵村の御嶽は、オモト岳の神の拝礼所とされています。首里の弁ヶ岳、於茂登岳、久米島の三神は合わせて姉妹の神々とされています。

この二番目の神、於茂登岳の神は、もともと妹と一緒に久米島を居所としたといわれています。

しかし自分の山が妹のいる山より低かったので不服を感じたのでしょう。八重山に移って於茂登岳に垂迹しました。そしてこの島の守護神になったそうです。

さらに、弘治13年(1500年)には、オヤケアカハチの乱がありました。このとき久米島の神女は琉球王国の軍に帯同しました。そして於茂登岳の神を説得したといいます。

於茂登岳は、信仰の山としても広く謡われてきました。

石垣島を訪れたのなら是非、この神々しい山を望みながら神話の世界に浸ってみてください。ご利益があるかもしれませんよ。

唐人墓

そのすばらしい海そしてサンゴ礁で石垣島は有名です。しかし、歴史に関心がある人にとっても魅力的な島であることは確かです。

歴史好きの心をくすぐる史跡のひとつが、唐人墓です。

唐人墓(とうじんばか)は、中国人苦力たちの慰霊のために建立された墓地です。沖縄県石垣市の観音崎に位置します。

咸豊2年(1852年)に、ロバート・バウン号事件で、中国人苦力が犠牲になり、その慰霊のために1971年(昭和46年)に建立されたのがこの墓なのです。

「苦力」とは、「くーりー」と読みます。中国人やインド人を中心とするアジア系の単純労働者、つまり手に職を持たない労働者たちを指す呼び名です。

では、この中国人たちはなぜ、亡くなったのでしょうか?

咸豊2年(1852年)、中国アモイからカリフォルニア州へ向けて、アメリカの苦力貿易船が航行していました。

この苦力貿易船は、ロバート・バウン号といいました。その船内で、船長の苦力虐待を契機として暴動が発生したのです。

船は、2月19日に石垣島の崎枝村沖合で座礁しました。このとき380人の中国人苦力が上陸したのですが、事情を知らない八重山の役人たちは彼らを収容所に収容してしまいました。

収容所は、崎枝村の赤崎に建てられました。その後、監視しやすい富崎に移されました。

ところがその後、バウン号が座礁したとの報告を受けたイギリス船2隻が石垣島に来航しました。そして富崎の収容所を砲撃したのです。

さらに200人以上の武装兵士が上陸し、逃走した苦力を射殺・捕縛しました。これが3月のことです。

その後、また、4月にはアメリカ船1隻が来航しました。捕縛を免れた中国人は琉球王国に保護されました。

しかしそこでの収容所の衛生が悪かったのでしょう。病死や自殺、あるいは行方不明になった中国人は128名にものぼったといわれます。

オヤケアカハチの碑

サンゴ礁が見事な海が素晴らしい石垣島。また、唐人墓など、興味深い史跡もたくさんあります。

その他、ちょっぴり変わり種ではありますが、案外穴場ともいえる観光スポットが「オヤケアカハチの碑」です。

果たしてこの碑は、いったいなんなのでしょうか?

その前に皆さんは、特撮番組としてあまりにも有名な「ウルトラマン」をご存知ですよね?

あのウルトラマンに登場する怪獣「レッドキング」は、実はこの「オヤケアカハチ」がその名前の由来であるといわれているのです。

脚本を担当した、金城哲夫は沖縄県出身でした。彼は、地球人と宇宙人との板ばさみに悩むウルトラマンが、沖縄の立場に似ていると考えたのだそうです。

その「オヤケアカハチ」は、漢字では、「遠弥計赤蜂」または「於屋計赤蜂」と書きます。

彼は、現在の石垣市大浜である八重山諸島石垣島の大浜村をその根拠地とした豪族でした。15世紀末に活躍し、別名「ホンガワラ」ともいわれます。

漢字では、「保武川」「堀川原」あるいは「保武瓦」と書きます。

オヤケアカハチは波照間島で生まれました。幼少の頃から豪傑で有名だったそうです。その後、海を渡り、石垣島へ行きました。

そして石垣島の大浜村に居を構えたのです。そして石垣島内の有力豪族として勢力範囲を拡大しました。

石垣村の豪族の妹を妻にし、その一族と義兄弟の契りを交わしたといいます。しかし、宮古諸島の仲宗根豊見親とは対立し、それが原因で首里の尚真王が介入することになりました。

これが首里王府に反旗を翻した、ということで戦いへと発展しました。この乱は、オヤケアカハチの乱と呼ばれます。

彼はこの戦いで、尚真王が派遣した征討軍3,000人に敗北したのです。そして討ち取られたといいます。

石垣島には「フルスト原遺跡」というオヤケアカハチの居城跡といわれている跡が残っています。

琉球王国

石垣島は沖縄県にある島だということは皆さん知っていると思います。

沖縄は非常に複雑な歴史を経て今日に至っています。そもそも沖縄というのは、「琉球」という名称に対して、日本の本土側が呼んだものです。

琉球が処分された後に、日本の領土であることを明確化するために、それまでの「琉球」から「沖縄」へと改められたのです。

中国では昔から、沖縄を「大琉球」と呼び、台湾を「小琉球」と呼んでいたといいます。

そのため、史書などの記録では、両者を混同してしまうことがよくありました。

鑑真の伝記『唐大和上東征伝』には、「阿児奈波」という名称が出てきます。

これがおそらく沖縄という言葉の初出でしょう。琉球が処分された際に琉球王国が滅亡し、代わりに沖縄県が置かれることになりました。

そして「沖縄」が正式に採用されることになったのです。ちなみに、沖縄の人々は、「ウチナー」という言葉を用います。これは、「オキナワ」の転訛です。主として沖縄本島のことを指すのだそうです。

沖縄を訪れたら、琉球舞踊を観る機会があるかもしれません。

琉球舞踊の起源は、中国からの冊封使を歓迎するための宮廷舞踊であった、「御冠船踊り」といわれます。

すべて貴士族の子弟のみによって踊られたものです。古典舞踊というのは、宮廷舞踊のことを明治以降の舞踊と区別するために用いられる呼び名です。

老人踊り、若衆踊り、二才踊り、女踊り、打組み踊りなどが、古典舞踊に含まれます。

石垣島で海を楽しみ、おいしい料理を食べながら琉球舞踊を楽しむのもいいかも知れませんね。

川平湾

あなたが石垣島を訪れるのなら是非、川平湾に行ってみてください。

早い潮の流れのなかで、すばらしい景勝を楽しむことができます。

川平湾は沖縄県石垣市にあり、石垣島の北西部にあたります。

「川平湾及び於茂登岳」として、1997年の9月に国の名勝に指定されました。於茂登岳は「おもとだけ」と読みます。一方、川平湾は「かびらわん」と読みます。

川平湾の湾内の海は、石垣島きっての景勝地とされます。光の加減さらに潮の満ち引きによって、その色は刻々と変わります。

湾のなかには小さな島が点在しています。湾口をふさぐように横たわっているのが「小島」です。

「くじま」と読みます。また、真謝離やサイ離などの島もあります。
前者は、「まじゃぱなり」、後者は「さいぱなり」と読みます。

沖縄では、このようにひとつひとつの固有名詞の読み方が実にユニークです。川平湾の海中には、数多くの造礁サンゴが群落を成しています。

潮の流れが強いことから、残念ながら、湾内での遊泳は禁止されています。しかし、湾内のサンゴ礁は、観光用のグラスボートから鑑賞できますから、是非、楽しんでみてください。

また、お土産に最適なのが黒真珠です。川平湾は黒真珠の養殖で有名なのです。

真珠、特に「本真珠」という場合、鮑玉を指すのが本来です。つまり、アワビの内部に形成される真珠のことです。

しかし、現在は鮑玉のほかにも、アコヤガイの真珠も本真珠と呼びます。また本真珠以外にもさまざまな真珠があります。それぞれ貝の種類によります。

川平湾で有名な黒真珠は「黒蝶真珠」とも呼ばれます。クロチョウガイつまり「黒蝶貝」から産出される真珠です。